【意識と無意識】

よくよく普段の生活を思い返してみると、意識しないで行なっていることがたくさんあることに気付かされます。箸を持って食事をするときに、箸を持つ指をどんな風に動かすかとか、反対側の手では茶碗をどんな風につかむかとか、細かく考えている人は普通いないことと思います。

しかし、これらの動作も、生まれつき、DNAの設計図の中にやり方が書き込まれていた訳ではありません。子供時代などに、意識して指を動かして箸を操れるようになったはずです。

つまり、「最初は意識してしかできなかったことを、意識しなくてもできるようになる」と言うプロセスを無数に繰り返してきて、人間は色々なことができるようになっているのです。

そして、さらによく考えると、「意識しなくてもできるようになること」や、「意識しないうちにしないようにしていること」などは、必ずしも、「最初に意識してやろうとしたこと」や、「最初に意識してやらないようにしようとしたこと」とは限らないことが分かります。

たとえば、食べ物や飲み物の嗜好は、普段「何となく好き」とか「何となくきらい」と思っています。しかし、過去を振り返ってみると、以前試してみて大丈夫だったたもののパターンや、逆に以前試してみて好きにはならなかったもののパターンが、反復されながら無意識の中に蓄積されているので、なんとなしの好き嫌いの選択ができているのです。

ストレスの多い職場やいじめにあう学校に行くことを重ねているうちに、行こうとすると、腹痛が起きたり、体に異常が発生したり、鬱のような症状が発生したりするのも、意識しないうちに無意識の中の「どうしても避けたいものリスト」にそれらの職場や学校が書き加えられたことによるものと考えることができます。これらは、「行くべきではない」とか、「行く必要がない」と意識して思っていなくても、無意識の中に書き込まれてしまっていることと分かります。

このように、無意識の中に新たに「できること」や「避けること」が登録されることを「学習」と定義することができます。

学習を繰り返して、その人の思考パターンや言動のパターンができあがっていきます。思考パターンと言うと意識することが前提のようですが、考え方の癖のようなものは、間違いなくあって、それらは過去に意識的に「こんな風に考えるようにしよう」と心に誓ったようなことではないことでしょう。

意識して行なっていることの少なさが分かると、無意識のうちに行なわれていることの多さに気付かされます。朝の出社前の行動を振り返ってみてください。毎日大体決まった時間に同じことをしていて、意識が前面に出るのは、昨日飲み過ぎたから体調が悪いとか、テレビの雨の予報を見て傘を持とうと考えたとか、イレギュラーな事柄に対応する場面だけです。

さらに、よく思い返すと、意識は或る瞬間に一つのことしか考えて処理することができません。

色々なことが同時にできるように見えるのは、細かく意識を集中する対象を切り替えているに過ぎません。それで漏れてしまっていることはすべて無意識が処理していることになります。

前野隆司と言う学者が「受動意識仮説」と言う説を本に書いています。彼の著作には、脳や神経の働きの時系列を分析する実験の話が冒頭で述べられています。合図を聞いて走り出すときに、脳や神経の働きのタイミングを計ると、合図を認識して、走り出せという大脳の指令が出るより先に、足の運動神経は走るべく情報を伝えていると言うのです。このおかしな話はその後誰が何度同じ実験をしても確認されます。

つまり、人間は無意識のうちに勝手に判断や行動をしていて、意識はその勝手な判断や行動を事後に受動的に受けとめて、“あれは自分が考えてやったんだ”と思い込んでいるだけだという説なのです。

この説によれば、ここまで述べてきた、意識と無意識の構図以上に、「意識していること」の、もしくは、「意識していると思っていること」の危うさが分かります。いずれにしても、人間の判断や行動はほとんど無意識のうちに為されていて、一瞬一瞬に何かの注意を引いたものが、そのつど、一個だけ意識される対象になると言う風に考えておくことにします。

【無意識に働きかけること】

無意識は人間のほとんどの判断や行動を支配しているということが分かりました。そして、何か注意を引いた物事が一個だけ意識の対象になることが分かりました。たとえば、会話の言葉上では、相手が好ましいことを言っていても、無意識の表情やしぐさが明らかに関心がない様子だったりすることは日常よくあります。表情を意識的にコントロールすることは勿論誰でもできます。しかし、話の中身を考えたり、相手の反応を見たりしながら、会話を進めることが意識の対象になっている間は、表情やしぐさまで同時並行でコントロールすることはできません。

経験を積んだ営業担当者とかセミナー講師などのように、無意識のうちに行なうこのような表情やしぐさを、好ましいものにするように学習されていれば別ですが、未学習であれば、会話の内容と表情や仕草は食い違ったままになることでしょう。

それでは、本人が自然に学習することにならなかったことについて、無意識をコントロールしたり、無意識の中にあるパターンを書き換えたりすることはできるでしょうか。それには、まず相手の意識が働かない状態を作って、直接無意識にアクセスできる状態が必要であることが分かります。

意識は或る瞬間に一個しか対象にできないことなどから、考えられる方法は以下の三つです。

1 意識を何か一つのことに集中させた状態を作る。 2 意識の処理能力を超えるような負荷をかける。 3 意識が立ち上がるような注意を要することにしないですり抜ける。

一つ目の意識を何か一つのことに集中させるのは、最も基本的な方法です。駅前の雑踏で紙コップに入れたウーロン茶を渡す実験をテレビ番組で行なっていました。当然ですが、警戒するので受け取る人は極めて少数です。しかし、携帯電話で話している最中の人に対してのみ渡すと、格段に高い確率で受け取ります。それは意識が携帯電話に集中しているので、無意識が他の行動を支配していて、「差し出されたものは、受け取る」と言うパターンを採用するからです。

二つ目は一つ目の応用のような形ですが、作業や行動に時間制限をつけたり、量を明らかに多くしたりすると、その作業や行動意識の処理能力を越えてしまうようになります。デパートとかでタイムセールがあって、何か目新しい服を探して選びたいのに、どんどん周囲が良い服を買って行ってしまう場合など、意識的にいい服を探している行為が間に合わなくなって、「皆と同じようなことをしておけば安全」と言う無意識のルールが浮上します。

同じ原理で、実は、会社での新人研修などの場では、デスクワークでじっくりと説明を聞かせるよりも、明らかに短い時間での作業処理が困難な量の作業に挑戦させて集中させる中で、その作業のコツや進め方を聞かせるほうが効果が上がります。それは作業のノウハウが意識を介さず、無意識に直接書き込まれて学習されることになりやすいからです。

三つ目は無意識の支配パターンが定番に出来上がっているような事柄にカモフラージュすることです。たとえば「白衣効果」などと言われていますが、施設の中で白衣を着てモノを言うのと、そうではなく話して聞かせるのとでは、全く説得力が違います。それは、白衣を着ている人物に対する信頼を無意識がパターンとして持っているからです。この方法論は、警戒なく、信頼の下に心を開いた状態を作り上げることと言い換えてもいいかもしれません。これが、一般に催眠技術と言われるものの核となっている原理です。

基本的には以上のようなシチュエーションを意図的に作り上げて、相手の無意識が表に出ている状態に、新たな何かを書き込んだりすることができれば、相手の判断や行動をコントロールすることができることになります。

【催眠と呼ばれていること】

催眠は漢字では「眠りを催す」と書くので、何か眠った状態にして、睡眠学習のようにして何かを聞かせるような技術と考える人がいますが、実際の催眠技術では眠らせる必要は全くありません。(眠るのは睡眠であって、催眠ではありません。)

催眠状態とは、端的に言うと、先ほどまで説明した意識のチェック機能が働かず、無意識だけが表面に出て、何らかの新たな学習をこちらの意図に従ってさせられる状態のことをさします。

催眠ショーなどでは、よく「手が重たく感じて、もう上がらない」などと暗示をかけたりします。ヤラセのように見える場合もありますが、本当にそのようなことはできます。

ただ、幾つかの条件があります。先に面談などをして対象者に安心感や信頼感を持ってもらうようにしておきます。相手が前もって「この人になら催眠をかけられても良い」と思える状態を作っておくということです。

さらに催眠の現場では、古典的な道具の糸にぶら下げた5円玉やライトなどに視線を集中させて、意識が表に出てこないようにしています。椅子などに掛けた状態やベッドに寝かせた状態でリラックスしてやると、余計に体や心の明け渡した感覚が生まれて、かかりやすくなります。具体的に「何も考えない」ように指示することもありますし、「もう何も考えられない」と伝えてしまうなどして、意識が立ちあがってこないようにすることもあります。

このようにしてでき上った無意識に直接働きかけられる状態が催眠状態です。その無意識に「今もっているカップは、すごく重い。すごく重くてもう持ち上げられないぐらいだ。もうこれ以上、上げられなくなる」と書き込めば、無意識はそのパターンを作って現実化しますから、実際に腕が上がらなくなることになります。

催眠自体は本来「無意識に書き込める状態」を指しますが、そこに暗示や後催眠(こうさいみん)と呼ばれる、“かきこみ指示”を加えることで、一般に催眠と呼ばれている行為は完結します。

後催眠の内容は催眠状態で与えられた条件の中で本人が一応、想定されている環境の中でやってもよいと思えることである必要があります。周りに誰もいないと思い込むようになってから、人前でできないようなことを催眠状態で行なわせることはできますが、その設定がなければ催眠状態でもやりたくないことをやらせることはできません。

この一般に催眠と呼ばれているプロセスの原理を使うと、先述のような欝の症状を軽減することや、赤面症を緩和すること、そして、癖を取ったりすることなどもできるといわれていますし、それが医療の現場にも催眠技術が用いられている理由です。本当は薬でもなんでもない錠剤を「これを飲むとよくなる」と言って飲ませると、実際に効果が出る現象のことをプラシボ効果と言います。これも、催眠の原理で説明できることが分かります。

【キミカンの劇中で千佳のかける催眠】

キミカンの劇中で千佳は「好きな人と行なうヒーリングを習ったので試したい」と言っています。結果的に心が休まり、楽になると言う意味では、ヒーリングと呼んでも嘘ではありませんが、実際に千佳が行なっていることは催眠です。

キミカン本編の中で、千佳は「男」に対して、薄暗い部屋で千佳の目を見つめながら脱力するように言います。見るのは千佳の瞳ばかり。そして千佳の言葉を受け容れるように千佳は言います。そして、普段意識しない呼吸を意識させて、自分の言葉に意識が向かないパターンを学習させたのです。

千佳は「男」をリラックスさせた上で、「男」のことを昔から見ていて、「男」の理解者であると言って、信頼感を醸成します。そして、肌を重ね合わせ、二人だけの世界を作り出して、日々の嫌なことを忘れて、これからの楽しいことを想像するように言います。

千佳がおまじないと呼ぶ二つの言葉は、実際は暗示や後催眠の言葉です。それを「男」の無意識に書き込んで、自分のすることに自信が持てて、嫌な気分になりにくいようにしたのです。

実は、千佳自身も「男」の目を見つめて、「二人で、これから何でもできる…」と言っていますので、(もし、覚えたての催眠のやり方を思い出すのに必死というようなことでなければ、リラックスして)自分にも催眠をかけていることになります。これは原理的には自己催眠という技術です。(これに対して、他者から掛けられる催眠を他者催眠と言います。)

キミカンを作品としてご覧になる方々の、無意識への書き込みの効果は、心や体の状態によっても大きく左右されます。リラックスしつつ集中できる環境、つまり、暗い部屋で画面を見詰めることができ、ヘッドフォンで音に集中できる、ソファやベッドの上の状態などを用意したうえで、何回かに分けて繰り返し聞くと効果がより確実になるはずです。

催眠の幾つかの書籍には、このようにかけた暗示(・後催眠)はほどなく効果が薄れて無くなっていくと書いてあるものがありますが、そのようなことはありません。たとえば、トラウマと呼ばれるようなことは、「無意識」に書き込まれたとても嫌な事柄と言うことですが、容易に薄れたり、消えたりすることはありません。喩えは変ですが、催眠でもトラウマと同じぐらい深く、場合によってはもっと深く、無意識に書きこむことができます。書きこまれた事柄は、後の催眠のプロセスか本人の別の学習によって塗り替えられない限り、残り続けます。

面白いことに、無意識に対して、意識的な学習を経ないで書き込まれた事柄は、本人に学習した認識がないので、自然にそうなったように感じられます。先程、紹介したウーロン茶を取り敢えず受け取ると言う行為も、「誰かに薦められたら、それをまずは受け取ろう」と人生のどこかで深く心に刻んだ訳ではないものと思います。これらは本人にとっては、「つい、やってしまうこと」だったり、「普通、そうするもんじゃないのと思っていること」だったりします。

他者催眠によって書きこまれたことも、本人が意識的に学習するプロセスを経ていないために、このような事柄と同様に、本人に認識されることになります。ですので、キミカンを見て、何となく自信が湧いたり、やる気がわいてきたりするようになったとしても、それを「なるほど。キミカンを見てから、やたらやる気が湧いて来たぞ」と意識することはほとんどないことでしょう。それでは効果が全く実感できないのかと言うとそうではありません。その効果が出る前と出た後のあなたを知っている周囲の人物は明かなその変化に気付くことでしょう。

キミカンを見て、何となく溌剌としてきたあなたが、職場の人々から「最近、なんか明るいよね」とか話しかけられても、あなたは多分、「え。そうかなぁ」ぐらいに応じる程度の認識しかないと思います。そして、「そう言われてみたら、そうかもしれない。ん。これがやっぱり、キミカンの効果なのかな」と思い至ると言うことなのです。

【もっと催眠を知りたい方に】

催眠に相当する英単語は、ヒプノティズム (hypnotism) とメスメリズム (mesmerism) の二つがあります。両方とも催眠と訳されていますが、一般に催眠ショーなどで用いられている、リラックスした中での集中を入口として行なう催眠テクニックとして集大成されている技術はヒプノティズムです。

それに対して、メスメリズムはヒプノティズムより歴史的に早く登場し、フランスのアントン・メスメルが棒で患者に触れたりするだけで痛みが消えるなどのオカルト的な医療技術として時のフランス王朝に注目されました。

最初に説明したとおり、何かにとても集中している状態や、強固な無意識のパターンを利用するようにして、無意識が表出するようにすれば、リラックスして意識が立ち上がらない状況を作らないようにするヒプノティズム以外でも、催眠は成立することになります。

たとえば、支持されている政治家の名スピーチなどで人々が扇動されたりするのも、催眠として説明することができます。スピーチの聞き手は、必ずしもリラックスして聞いている訳ではないのに、その内容が無意識に書き込まれている状況が起きているのです。

日本の古武道の試合などで「もう、この刀から逃げることはできない」とか「次の技を避けることは絶対にできない」などと、対戦相手に告げるのはこけおどしではなく、それによって相手が本当に動けなくなることを狙っています。マンガの世界のみならず、現実に優れた武道家などの所作や目線などは圧倒的な威圧効果を持っているといいます。これも受け止める側に催眠効果が発生していると考えられます。

そのように考えると、一般的に知られるヒプノティズムの手続き以外でも、相手の無意識に書き込みを行なう広い意味での催眠技術は多種多様にあることが想像されます。

瞑想の技術や自律訓練法なども間違いなく催眠の一環ですし、スポーツ選手などのセルフ・コントロールの各種の手法は自己催眠以外の何物でもありません。また、催眠の用途も広く、海外では犯罪捜査上の目撃証人の目撃内容を鮮明に呼び起こすために催眠技術が使われ、その結果が裁判の証拠としても使われているケースがあるといいます。

無意識は、五感、体の動き、思考につながる認識、そして記憶の四つを司っていると言われます。催眠はその無意識をコントロールする体系的な技術なので、その応用できる対象は広範に広がっているのです。