作品について
1919(大正8)年に発表された作品。この作品などを契機に、小説家志望だった未明は、
童話作家として活動を本格化させる。
未明の作品の中でも、不自由な体故子供を大切に想う母と、その息子との情愛を描いた話として有名。
あらすじ
ある村に、背が高く、耳の聴こえない女とその子供が、二人で暮らしていた。
女は牛女と呼ばれいるが、耳が聴こえないので分からない。
ただ、自分のために子供が辛い思いをしないように、一生懸命働き、子供を大変可愛がった。
しかし、病にかかって牛女は死んでしまった。
子供は悲しみに暮れたが、牛女の思いが遠くの山に自身の姿を浮かび上がらせ、
子供はそれを見て慰められていた。
村人に育てられた子供は、大きくなって勝手に村を飛び出し、やがて金持ちになって帰ってきた。
村人はこれを喜び、子供も育ててくれたお礼として村で事業を始めることにした。
りんごを育てることにした子供だったが、実になる手前で虫に食べられ駄目になってしまう。
それが続き、村の物知りが、何か呪いがあるから、心当たりはないかと子供に尋ねた。
子供はようやく大事に見守ってくれていた母親の供養をしていないことを思いだし、丁重に供養した。
するとその年は実に付いた虫を、コウモリたちが全て食べてしまった。
これによりりんごは豊かに実り、子供は大金持ちとなった。
小川未明(おがわ・みめい)
1882年4月7日-1961年5月11日
小説家・児童文学作家。本名は小川 健作(おがわ けんさく)。
「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。
娘の岡上鈴江も児童文学者。
新潟県高田(現上越市)に生まれる。
東京専門学校(早稲田大学の前身)専門部哲学科を経て大学部英文科を卒業。
坪内逍遙に師事し、島村抱月やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)らにも影響を受けた。
在学中に処女作「漂浪児」を発表し、逍遥から「未明」の号を与えられ、
卒業直前に発表した「霰に霙」で小説家としての地位を築く。
1925年に早大童話会を立ち上げ、1926年以降は童話作家に専念する。
1953年、童話会の会員だった鳥越信と古田足日の二人を中心をした「少年文学宣言」
が発表され、未明は、古い児童文学として否定されるという、苦渋の晩年も送った。
代表作は、「金の輪」(労働文学)、「赤い蝋燭と人魚」(朝日新聞)
「月夜と眼鏡」(赤い鳥)、「野薔薇」(小さな草と太陽)など。
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